さて。一通り『LSD』とは何か?ということを検証してきたのだが、最後にこんなイカれたゲームの発想の原点、コンセプトをプロデューサ自ら解説してもらおう。この文章だけを読むと、非常にマトモなゲームに思えるから要注意だ‼︎ こんなのゲームじゃない。          佐藤 理 3年ほじ前、インターネットでネットサーフィンをしていたとき。クリックしていくと、つぎつぎに新しい情報につながっていく。思いもよらない感覚だった。 もちろんインターネット上のデータは有限だけれど、感覚的には無限に近い。どこまでも永遠につながっているように思えてしまう。これは正直言ってまずいなと思った。これは、ゲームよりおもしろいとも思った。 僕はゲームをほとんどやらない。ヘタクソだから、誰かがやっているのを後ろからみてるだけだ。格闘ゲームは殴られっぱなし。レースゲームは壁に激突してゲームオーバー。全然先に進めない。つまらない。 なんで殴られたらアウトなのか。壁にぶつかったらオシマイなのか。負けないように、激突しないようにクリアしていくのがゲームなのだと理解はできるが、僕には楽しめない。地道にトラブルを乗り越えて、ゴールを目指すのは、どうも性に合ってないらしい。 果てしなく終わりがない。どこまでも、どこにでもつながっている。ネットサーフィンをしているときの、あの感覚が欲しかった。 一緒に仕事をしているスタッフに、夢日記を5年間も書き留めている人間がいる。日記を読ませてもらったとき、夢の中では、まったく関係のないようにみえる事象が、突拍子のないつながりかたをしていることを知った。夢には、これをやったらオシマイという決まりはない。100階のビルの屋上から飛び降りても、死なないのだから。  夢の突拍子のなさと、ネットサーフィンの終わりなき連鎖感。それを重ね合わせたのが『LSD』だ。  『LSD』に明確な目的は、これといってない。ゴールもない。ただひたすら歩き回り、風景を眺め、音に耳を傾ける。そしてキレイだとか、ヘンだなあと感じる。気が向いたら、違う場所に行けばいい。  だから、『LSD』はゲームとは呼べないかもしれない。だが、『LSD』には気持ちよさがある。何の気なしにコントローラを操っているだけで、気持ちよくなってくる。  この感覚があれば、目的なんかいらないじゃないか。僕はそう思う。達成感だの、ゴールだのは不必要。欲しかったのは、『LSD』に詰め込んだ、気持ちよさだけなのだ。  そして、これもゲームなんだと僕は確信している。 OSAMU SATO/PROFILE デザイン、音楽、映像など多岐に渡るジャンルのクリエイティブ・ワークに携わる。'93年SME主催DEP最優秀賞受賞。マルチメディア・グランプリ・'94アーティスト賞受賞。主な作品にPC/MacCD-ROM「東脳」「中天」(SME)。音楽CD 「EQUAL」等がある。