10年間に渡って書を留められた夢日記。 この夢日記のアイデアをベースにして、 ゲーム『LSD』生まれました。 そして今度は、 10年分の夢の断片と80組のアーティストのコラボレーションとして1冊の本が生まれました。 ゲーム『LSD』とはまた異なる夢の世界、 それが『LOVELY SWEET DREAM』です。 -- 1987年4月21日(火) 地球の底 頭痛の中で夢を見た。 澱んだ川の底、 恐竜のように巨大な魚や巨大烏賊が泳いでいる。 高い所から地球の底を眺めているみたいだ。 まわりの人たちには見えないらしい。 たくさんの巨大な魚がひしめきあいながら、 それでいてゆっくりと静かに泳いでいる。 怖くて、 懐かしい情景だった。 -- 1988年1月1日(金) 明月荘が大きな鉄筋アパートになっていた、 そして葡萄酒を盗み飲みする エレベータは、 旧式の鉄柵の扉。 3階で降りる。 3階はエントランスがカウンター形式の古びたカフェ。 男の子が葡萄酒とソーセージを食べている。 私にも葡萄酒をくれというと、 無料でくれた。 ここではうまく料野長の目をごまかして、 葡萄酒を盗み飲みする慣わし。 またもやエレベータで上がる。 明月荘にいるのに、 ここからは明月荘の自分の部屋が眺められる。 市松模様の床が、 開け放たれた窓から見える。 中にいる人が電話を取っているのも見える。どうもあれは自分らしい。 -- 1988年1月12日(火) 知っている世界 どうだろう。 神社の境内のようだ。 暗くて深い森のような所。 ぐるぐると歩いている。 1度行ったことのある場所みたいな気がする。 寺や塔が普通よりも数段大きく、 まるで大きい世界に迷い込んだみたいだ。 すごく暗く、 地底の底のように空が無い。 でもとにかく、 ここは知っている世界だ。 -- 1988年1月23日(土) 鰻屋 鰻をご馳走してくれるというので、 鰻屋を探す。 美味しい店は駅からずいぶん遠い。 それで駅前の鰻屋に入ることにした。 立ち食い鰻屋だった。 なんだか損したようだ。 -- 1988年2月7日(日) 赤ちゃんだけれど顔は大人 久しぶりに倉嶋さんちの赤ちゃんを見る。 顔を覗き込んだら、 すっかり大人の顔になっている。 でも体は赤ちゃんのまま。 「ずいぶん大きくなったね。」と驚いていた。 -- 1988年2月11日(木) 逆さ女 荒れた海。 海辺に生えた大木に、 大女が逆さに縛られている。 見せしめのためか、 力を封じこめるためか。 大女は、誰かが海の向こうから助けにやって来るのをずっと待っている。 -- 1988年2月11日(木) 鯨を獲る人 冬の空。 槍を持った男が、 鯨を獲るためやって来た。 水が1面に張り付いた海へ、 大きな槍を投げていた。 -- 1988年2月16日(火) ちょんまげとエレベーターで乗り合わす タクシーに乗っている。 車を降りると、 大きな学校に着いた。 人が大勢やって来る。 前の夢でも来たことがあるので、 よく知っている気がする。 表口から入ると迷路のように迷うので裏口から行こうとすると、 連れが表の売店で買うものがあるからついてきてくれという。 しかたなく表から入る。 買物が済んでエレベーターに入ると、 ちょんまげの男がふたり乗っている。 0階で降りると、 迷路のように混みいった廊下にでた。 前に来た時と同じだ。 また迷い込んだらしい。 ちょんまげ達もこの階で降りる。 左の離れでは、 千利休が人を集めて茶の湯講習会をしていた。 ちょんまげ達が入った部屋では、 町人が寄り合いをしていた。 やっぱり裏口から入ればよかったと後悔する。 どうやらまた、 時間軸の中で迷ってしまったようだ。 -- 1988年2月22日(月) 雪の降る街 雪の降る街。 通りの向こうの空へ、 宇宙船が降りてきた。 美しい風景。 -- 1988年2月28日(日) ガス管を食べるライオン 明月荘の台所。 裏戸を開けてみると、 ガス管が食い破られたようにぼろぼろ。 ライオンのような親子が3匹いた。 -- 1988年3月7日(月) むにゅむにゅ 顔中が吹出物だらけ。 押すと、むにゅむにゅとした脂肪のようなものがいっぱい出てくる。 鼻のてっぺんからも、 分子構造モデルのような形の大きなむにゅむにゅが出てきた。 これが一番大きい。 とても気持ち悪い。 洗面所の窓へ捨てにいく。 外に出てし窓を閉め、 むにゅむにゅがどこへ飛んでいくのかしばらく見ていた。 -- 1988年4月2日(土) 未来都市 街を歩いていた。 そこはとても美しく整備されている。 塵ひとつ無い、 SF映画の中の未来都市だ。 車は音も無く走り、 渋滞も無く、 水のように流れていく。横道に入ると下町風の商店がある。 パン屋で、 アイスクリームを買った。 タイムトラベルしたみたいに、ここだけは雰囲気が違う。 ひたすら歩く。 書き割りのような狭い住宅街へ入った。 どこか一軒の家に入った気がする。 誰かが角から逃げだしていった。 そこから駅前まで歩く。 -- 1988年4月9日(土) 上野公園 殺人鬼が潜んでいる。 噂では既に誰かが殺されたらしい。 行きたくないけれど、 どうしても上野公園の中に行かなければ。 お花見の人達が公園へ入っていく。 その後に付いていこう。 その方が安全だ。 先頭の人は茂みへ入った。 妙に長く細い道が揺れる。 不安。 その茂みは危ない気がする。 急に恐怖感が襲う。 いま来た道へ引き返そう。 道は真っすぐ大通りへ続いている。 しかしとても果てしない距離に感じる。 頭がぐらぐらしてきた。 -- 1988年4月15日(金) ビデオ テレビを見ている。 ホモセクシャルのためのビデオクリップらしい。 地下室で小さな男の子が裸にされている。 -- 1988年4月18日(月) 彼は「希望」 富士塚のミニチュア富士が爆発した。 まるでスパークリング。 そこから赤い大きな鬼が生まれた。 山門を守っていた「あ」と「うん」の前に、 彼らを見張るかのように赤鬼が居座る。 ふたりの間から「たろう」という男の子が生まれた。 彼は赤鬼の隙を見て、 山門の前に渦巻く時間の流れに飛び込んで逃げた。 彼は「希望」だ。 -- 1988年4月20日(水) ストライキ 品川のNTTの前でストライキがあった。 女の人が駅に降りてきて、 この辺は交通が遮断されていると告げる。 新聞社も閉鎖されている。 とても暗い暗い世界だ。 -- 1988年4月30日(土) 仏さまの骨とルビー 吹き抜けの中庭がある三叉路に、 皆が集まる。 喋っていると、 いきなり目の前の階段から落ちてしまった。 落ちるまではスローモーションだ。 体がゆっくりとぐるぐる回転する。 骨折するかもしれない。 落ちるままにまかせていると、 上手く着地した。 ちょうど着地した所に、 なぜか涙粒くらいの赤と青のルビーが落ちていた。 ルビーを見ながら、 仏舎利を手に握って目覚めたという仏教の逸話を思い出していた。 -- 1988年5月9日(金) UFOを待つ猫たち 実家の猫たち。 物干しで、 篭に入って皆じっとしている。 空から光り輝く人達とUFOが、 やってくるのを待っているのだ。 猫たちは荘厳な雰囲気に包まれていた。 -- 1988年5月9日(金) A Station 天井は高く、 海の底のように静かな待合室。 鉱物標本室にも似ている。 やがて汽車が出る時刻。 エレベーターに乗って出かける。 -- 1988年6月22日(水) ニューヨークに家を借りた 友達がそこへ訪ねてくる。 ぼんやりとベランダの窓を眺めると、 イギリスのように曇った空が見える。 通りはとても広く、 印象派の絵の海のようだ。 通りでは、 子供たちが遊んでいる。 表に面した四畳の部屋は、 昼だけ明るい。 ここは畳の部屋なのにシャワールームにしているので、 畳が腐らないかとても心配だ。 表の街路樹から、 部屋にまで枝が入ってくる。 通りの向ころには森が見える。 森の中には秘密の研究所があってとても危険。 近寄らない方がいいしらい。 -- 1988年6月23日(木) N.Y. 部屋を間借りしている。 向かいの部屋には、 1人の男性。 彼と一緒に出掛けることにする。 部屋を幾つも通り抜けていく。 先を歩いている人が喋っている。 -- 1988年9月1日(木) 3本の手もしくは足を持つ女 3本の手(もしくは足)を持った女の人が、 誰かに傷付けられている。 殺されかけているのかもしれない。 まるでニュース映画お見ているようだ。 -- 1988年10月2日(日) 檻のある部屋 鞭を持った男の人たちが2階の部屋にいる。 畳の部屋に檻があったりして、 倒錯的な雰囲気だ。 -- 1988年11月10日(木) 追われる 誰かに追われている。 それは組織のようなものだ。 私は大家族で逃げている。 そこは中華レストランだったり、 小さな街の商店街の軒先だったり。 小さな洋服店には今は引退した老師がいて、 追われている私達を匿ってくれる。 店先にやってきた敵に向かって「気」を吹き突けて追い出してくれた。 「気」とはこんな風に、 まわりの空気から自然に集めてこれるものかと改めて感心する。 しかし私はこれからも敵に追われ続けるのだ。 -- 1988年11月14日(月) 川沿いの家 そしてたくさんの不思議な子供達が、 その家のいろいろな部屋に潜んでいるのだ。 なんとなくそれを感じる。 -- 1988年11月18日(金) 下着店 坂下のビデオショップにビデオを返却しにいくと、 ビデオショップの前に下着店がある。 段ボールに山積みにされた下着は、 「綿のパンツ5枚で500円」とある。 -- 1988年11月27日(日) レストラン・エレベータと巨大カニ エレベータにみんなと一緒に乗る。 エレベータは8畳程の広さのレストランになっていて、 幾つかのテーブルと、 パスタなどのイタリア料理がたっぷり入ったバケツが置いてある。 エレベータが1階に降りるまでの間、 それらを好きに食べられるのだ。 と、 突然フロアの柱の向こうから怪獣のような巨大カニが襲いかかってくる。 なぜかカニは茹でられて赤い体をしている。 とにかくエレベータの中はパニックだ。 -- 1988年11月27日(日) 私の死ぬ日 私はあと2、 3日後に死んでしまうことに決まった。 これは運命だ。 死ぬ日は26日誰かに宣告された時は、 何とも思わなかった。 だんだんその日が近付いてきて、 ついに当日になった。 石段を降りる時、 急に自分が今日死んでしまうことに気付いた。 階段を降りる足が一瞬宙を浮いたような気がして、 ぱっとそれまでの生涯のことが思い浮かんだ。 これらのことすべてを今日すっかり無くしてしまうのだと自覚した。 -- 1988年12月8日(木) 海際の倉庫 小さな岬に向かって歩いている。 右手には倉庫。 左手には波が打ち寄せる岩場があり、 そこから海が広がっている。 倉庫には、 海から場げられた魚が入れられ、 そこからまたどこかの街へ運ばれていく。 舗装された道には、 海から岩場へ、 岩場から倉庫へ、 魚が引き揚げられた生臭い水の跡が付いている。 倉庫を通り過ぎ、 岬の先端へ。 そこには低い灯台がある。 そして、 海。 誰かが灯台の影に倒れているようだ。 -- 1988年12月8日(木) 天井の青空 部屋で布団にくるまって眠っている。 ふと目を開けると、天井がけがそっくり部屋から無くなっていて、 かわりに恐ろしいほどきれいな青空が見える。 濃い黄味を帯びた青色の空に、 羊のように小さな白い雲が、 おびただしくたくさん浮かんでいるのだ。 あまりの不思議な美しさに、 しばらく見とれる。 とても気持ちがいい。 部屋と部屋の間の梁だけが残っていて、 その梁にかかった雲からちょうど太陽が顔を覗かせ、 あまりのまぶしさに目をつぶった。 -- 1988年12月12日(月) 封鎖された窓 通りの向こうに細長いアパートが見える。 通りは荒れ果て、 人通りもない。 そしてアパートの1階の一番右端の窓が、 誰かにコンクリートか何かで封鎖されている。 以前その窓には、 女性の絵が落書されていた。 そのためかどうか窓は塗り込められ、かつて窓だった所には、 物干し竿だけが架けられたままだ。 竿には黒いキューピー人形がぶらさがっている。 私は通りの向こうにいた。 大きなバスの扉からそれを見ていたのだ。 -- 1988年12月20日(火) 朽ちた船の沈む湖、 壁のない部屋 壁の無い部屋から、 眼下に湖が見える。 湖には水があるのではなく、 その空間全体が湖というイメージ。 そこには朽ちた船が沈んでいる。 確かに沈んでいるが、 その湖という空間に含まれているだけなのかもしれない。 船の看板は錆びて、 水が溜まり草が生えている。 私のいろ壁の無い部屋も湖という空間に含まれている。 部屋の中には、 川が流れている。 川は湖につながる。 しかし、 この川の水には、 水という存在感がある。 冷たい透き通った水面に、 指輪が3個流れてきた。 なぜかあの船にいた人のものだという気がした。 船は難破して沈んだのだ。 -- 1988年12月27日(火) 台形の山 台形の山が彼方に見える。 ここは南国。 熱帯の空気が漂っている。 台形の山の頂上に立っている。 頂上は意外に狭く、 岩が細長い水晶のように突き出ていて、 足場がほとんどない。 ひとつの岩にようやくしがみついているという感じ。 しかも岩はぼろぼろしている。 -- 1989年1月2日(月) 屋根裏部屋て喋る 商店街に面した小さな花屋の屋根裏部屋。 梯子で上がるようなそんな狭い場所で、 誰か知っている女性と喋っている。 -- 1989年1月2日(月) 追跡 マイク・タイソンのような大男ふたりが、 レストランに入っていくのを盗み撮りする。 私達は極秘命令を受けて、 証拠写真を撮りに来たのだ。 ニューヨークの、 まるで映画のセットのような街角を走り逃げ、 フィルムを秘密の場所に隠し、 金で雇った男に追手の追跡の時間稼ぎを頼む。 しかし、 追手の追跡の方があまりにも敏速だ。 雇った男の口封じのために車で轢き倒し、 我々は高速へと逃げる。 仲間と無線で連絡お取るのだ。 -- 1989年1月11日(水) 目玉のある牡蛎 生牡蛎が皿に載せられている。 それには目玉が付いていて、 雄と雌のつがいだ。 まだ生きていて、 皿の上で交尾をしているようだ。 ずいぶん時間が経ってから、 再び皿のところへ戻る。 またそこには牡蛎が載せられている。 今度はそれをひょいと掴み、 口に入れてみるが、 目玉がまだ睨んでいるようで一向に噛み下せない。 生牡蛎を口に含んだまま、 噛めも出来ず、 気持ち悪くなってき脂汗が出てくるが、 どうにも出来ないでそのまま立ち尽くす。 -- 1989年2月2日(木) 革命 飛行機の倉庫。 天井は遥かに高く、 小さなビルディングが入るくらいの大きさ。 その中央にある砲射台の2階から、 下にいる子供たちへ向けてボールを投げたり受けたりして遊んでいると、 突然革命が起こった。 革命軍の兵士達が倉庫へも襲いかかってきて、 次々と人々を捕まえては中央の円陣へ並ばせている。 私も急いで2階の端の梯子から逃げようとしたが、 頭に布を被せられて捕らえられてしまった。 中央の円陣では捕虜になった人々がそれでも抵抗して走り回っている。 -- 1989年2月11日(土) 米粒 茶碗をレンジから取り出すと、 米粒がレンジの受皿の下の方に飛び散っている。 私はその米粒を箸で1粒1粒取り、 食べていく。 真っ暗な電子レンジの中に白く浮き上がった米粒が、 長い箸で1粒ずつ取り除かれていく様が目に焼き付く。 -- 1989年2月14日(火) 孤独 街外れ。 大きな幹線道路が通っている。 そこに知っている人々が集まっている。 私はどこか遠くからやって来た。 しかもずいぶん疲れている。 ようやく私がそこへ着いた時には、 ほとんどの者が大きなトラックに乗って、 郊外のデパートへ行ってしまったところだった。 少し残っていた人にそう聞いた。 どうして誰も待っていてくれなかったのだろう。 とても寂しい気がする。 私はここでも独りきりなのだ。 ここに残っていた人の中にも、 出掛けていった人々の中にも、 私のいろ場所はない。 そしてこれから、 行く場所にも。 -- 1989年2月19日(月) ハワイのプール部屋 ハワイに来ている。 知らない女性と、 そして知り合いのカップルと一緒だ。 私がひとりで来ているので可哀相に思った彼らは、 私を同じ部屋に泊めてくれる。 しかし寝台はひとつ。 3人で眠るが、 私は居心地が悪い。 もうひとりの女性の部屋を訪ねると、 ここはまるでプールのように水で溢れている。 釦を押すと、 するすると水が退き、 すぐ乾燥する仕組み。 驚いている私に、 ハワイは乾燥しているからこんなことをしても平気なのだと、 彼女が言う。 -- 1989年3月28日(火) バスに乗っていた犬の死 バスに乗っている。 日曜日に向島の中華店で見かけた犬が、 後の座席に横たわっている。 そのうち犬は死んでしまった。 -- 1989年3月29日(水) 今日もまた犬が死んでいた バスに乗っている。 日曜日に向島の中華店で見かけた犬が、 後の座席に横たわっている。 そのうち犬は死んでしまった。 昨日とまったく同じ展開、 同じ夢。 あの犬のことが、 とても気になっている。 -- 1989年4月1日(土) やどかり 巻き貝が見える。 その貝から、 にょろにょろと手足が出てきて、 やがて身体が出てきて、 とうとうやどかりの姿になって、 歩き出そうとする。 すべてがスローモーション。 理科の教材フィルムみたいだ。 -- 1989年4月1日(土) 海に浮かぶ 海に、 仰向けにたってぷかぷかと浮かんでいる。 まわりにも数冊の本がぷかぷかと、 同じように表紙を上にしてぷかぷかと浮かんでいる。 海には他にも、 日常品が何か浮かんでいたかもしれない。 -- 1989年4月3日(月) 濡れた老人と洗面器 外の狭い物干し台に、 小太りの老人が立っている。 雨がひどく降っている。 隣にいた背の高い瘦せた男が、 急いで老人を部屋へ入れる。 部屋から眺めていた私も、 それを手伝う。 老人を椅子に座らせ、 泥だらけの裸足の足を拭き、 女の子に、 水を入れた洗面器を持ってくるように言い付ける。 その洗面器の乳白色がいやに目に付く。 -- 1989年4月4日(火) 赤いホテル ホテルの入口。 中へ入ると、 ホテル中が赤く塗られている。 正面にロビー、 左手に客室へと続く廊下。 また廊下の天井の隅には、 子供のおもちゃみたいな定規が取り付けられている。 定規も赤く塗られており、 その目盛りが部屋毎に付いているこどもの名前を載せて定規の上を走る。 それを眺めながら廊下へと入り込む。 -- 1989年4月8日 (土) 駅の中での夕食の相談 遠い町まで来てしまった。 大きな駅の改札で、 帰る相談をするが、 夕食をどうするかで悩む。 私は、 駅の構内で炊飯器を取り出してご飯の用意を取り合えず始める。 そのうち混みだした人々の中で、 連れとはぐれてしまった。 電車がやって来たので、 急いで長い階段を走り下りる。 行きすぎた私は、 1台めの電車の辺りに連れがいないことに気付く。 同じホームを探していると、 続いてきた2台めの電車のところにいた。 結局電車は逃してしまった。 それに炊飯器を構内に忘れてきたことに気付いて、 私は急いで取りに上がる。 階段の手摺りで、 連れからもうお腹が空いたので何か買って帰ることにしようと言われる。 じゃあこの炊き上がったご飯はどうするんだろう。 -- 1989年4月8日(土) 雨の降る部屋 京都の部屋。 昔あった大きな足付きのテレビがある。 テレビの足下には、 四角い座卓が納まっており、 床はぽっかりと黒い空間を開けている。 部屋の中央のこたつの下にも床がぽっかりと開いている。 部屋の外には雨が降り、 座卓を濡らして床下へ流れている。 慌てるがどうしようもない。 天井の方にも黒い空間があるようだ。 どのうち部屋全体が縮まってきた気がしてきた。 -- 1989年4月8日(土) 庭師達が花を植える不思議な公園 夜のような薄闇の分園を歩く。 その広い分園はたくさんの不思議な花に囲まれている。 大勢の庭師達が花を植えている。 この公園の土は、 理め立て地みたいに軟らかい地盤だ。 それでも庭師達は、 軟らかい地面に花を植えていく。 小山のような芝生に囲まれた小道を歩いていく。 道に置かれているベンチまでが、 不思議な大きな花でできている。 花のベンチを眺めながら、 なお歩くと、 小川が流れ込む小さな池がある場所に出た。 池の向こう岸にも庭師が花を植えているのが見える。 私達は小川の踏み石を跳んで渡る。 誰かが「世界で一番大きな噴水が上がるよ。」と叫ぶ。 その声で森の向こうの空を見上げると、 噴水が花火のように高く明るく夜空に上がるのが見える。 噴水はこちらにも飛んできて、 辺り1面が小雨のようだ。 -- 1989年4月19日(水) 下半身だけのオペラ歌手 イタリア人の、 とても太ったオペラ歌手が唄っている。 彼のよく肥えたビア樽のようなお腹をもった身体は、 ちょうどベルトのあたりからすぱりと切り取られている。 その切り口は、 まるでハムの断面みたいにきれいに平らで、 きれいな桃色の肉模様が見えているだけだ。 だから彼は、 お腹の半分から下半身だけで立っているのだ。 彼の穿いている太いパンツは下半身がないのか嘘のようにきちんとしている。 ズボンには、 ちゃんとプレスした折り目すらあるのだ。 下半身だけで、 こんなにきちんとした大格がわかる人も珍しい。 そのうえ彼の唄声はとても美しく、 聴く人に感動を与える。 唄声は、 彼の上半身が存在するであろう位置から聞こえてくる。 私はこのオペラ歌手のことが大層好きだ。 -- 1989年4月20日(木) 温泉旅館とフィルム見物 古い温泉旅館に来た。 年齢・性別を問わず大勢の人々がそこへ集い、 大広間で何かのフィルムを見ている。 これは義務だ。 私もその人々の中に混じり、 大広間に映し出ちれるフィルムをみている。 フィルムは、 記録映画かもしくはここにいる人々が映っているものかもしれない。 隣にいた同級生が「後ろに金髮の人がいる。」と私に耳打ちする。 フィルムは、 アジアのごこかの海か大きな川を映し出していた。 そこでは、 とてつもない数の人々が通勤のために船を出して渡っていくのだ。 しかもほとんどが細長いただの板切れで、 その上に自転車や人や犬などが1列に乗っている。 先頭にいるひとりの船頭が長い棒で板船を漕いでいく。 そうした簡易船が水面を理め尽くし混雑しながら渡っていく。 圧倒されるような力を感じる。 フィルムを見ていた中年の婦人が、自分達もここへ旅行したことがあるといって大声で笑っている。何か嫌な気かした。 フィルムが終わると、 私は部屋を出た。 本当はまだ部屋にいなければいけないのだが、 後の方にいた若い学生達も飽きたのか、 いつのまにかいなくなっている。 -- 1989年4月28日(金) 男装した僧侶の物語 男装した僧侶が、 大勢の僧に混じって境内の庭掃き作業をしている。 仲間は誰も彼が女性だとは知らあい。 彼は、 無口で何を考えているかわからない。 その為に知られないのかもしれない。 境内に入ってきた少女が、 小さな自分のボールは飽き足らず、 他の大きなボールを奪い取ってしまう。 少女は我侭で身分が高い。 召し使い達を引き連れて、 彼にボールを寄越せと迫る。 彼は取り上げたボールを持ったまま、 寺の縁側に上り、 彼女達に追い詰められる。 彼の無言の抵抗が伝わってくる。 場面転換。 このことで、 彼は主人の屋敷に引き出される。 他の増侶も居並ぶ1室。 主人が出てきて、 彼に向かって何か言う。 主人と視線を合わせない彼の顔が異常に美しくて目に焼き付く。 男性でも女性でもない美しさだ。 彼の秘密がその美貌をさらに引き立たせるのかもしれない。 主人は弁解をしない彼が気に入ったらしく、 護衛の僧侶達の仲間に取り立てる。 隣の部屋から主人の娘が出てくる。 彼は、 娘の剣の相手を命じられる。 娘のかざす剣をしきりに避けながら、 相手には立ち向かわない。 見ていた仲間達は、 無駄な動きだ多すぎるし、 彼はだめだと噂している。 娘は彼を好ましく思い始めている。 場面転換。 彼がまだ女性だった頃の姿が見える。 ドレスを持って、石畳の通りを歩いている。 そして、 古い煉瓦造りの家へ入っていく。 そこは沢山の洋服を吊した広い部屋。 その家の老女が洋服のコレクションをしているのだ。 彼女(彼)が持ってきたドレスを見て、 老女は喜んでいる。 彼女(彼)は貧しい。 ドレスを売って金を得ようとしている。 老女は値段を渋る。 彼女は駆け引きして、老女の家の空き部屋を借りることになった。 彼女の恋人は芸術家だ。 彼女はそれで苦労しているらしい。 恋人の部屋。 鉄パイプの寝台が置かれている。 彼女は恋人とその寝台に仲良く寝そべって、 テレビを見ながら、 今日の部屋の話を楽しそうにしている。 -- 1989年4月28日(金) 落下した少年 少年がひとり、 森の道を奥へと歩いていく。 森の奥の道の尽きるところには、 切り立った山の斜面が見える。 斜面には人の魂のような灯りがたくさんきれいに輝き、 ぽつぽつと蛍のように見える。 少年の乗った車が走る。 その斜面に向かって。 落下。 私はそれを見ていた。 下りて斜面を歩くと、 その辺りにはたくさんの死んだ魂が落ちている。 落ちた車の残骸。 先程の少年は酷たらしく血を流して死んでいる。 座席には、 他の男の人も首をもがれて死んでいる。 不思議に怖いとは思わなかった。 私はまるで日常の景色を見るように、 自然にそう惨状を見ていた。 -- 1989年5月6日(土) 砂から掘り出した赤い果実 何か小さな盆栽みたいな木が植えられている場所。 その木の下の溝になったところは、 柔らかい砂地になっている。 私はその砂を掘る。 すると、 梅の実ほどの大きさの赤い果実が出てくる。 柔らかい砂を掘り出すと、 いくつもいくつもその辺りから赤い丸い果実が出てくるのだ。 私は嬉しくて、 赤い果実を手に抱えながらもどんどん掘っていく。 柔らかく暖かい砂の感触。 赤い実。 -- 1989年5月7日(日) 亀 学校。 背で体操している。 席に戻る。 細い階段式の教室。 階はそこに1列になって着席する。 自分の席に着くと、 小さな亀がいる。 所々、 甲羅が割れており、 どこかに落ちたりしたみたいだ。 私は、 入れ物を探してそこへ亀を入れて飼うことにした。 でもこの先ずっとこの亀を飼い続けられるかが心配だ。 -- 1989年5月12日(金) 囚われた象の部屋 部屋に逃げ込むと、 大きな象と男の人がいた。 像が部屋いっぱいに体を縮こまっているので、 部屋にはまるで隙間というものがない。 男も象もこの部屋に閉じ込められているらしい。 象の体の皺や体手が目に付く。 男は象使い。 巨大な象を自在に大きくしたり小さくしたりも出来るのだ。 -- 1989年5月14日(日) 女の子の背中 オフィス街。 銀行の玄関先に屋根のある8畳程のスペースがある。 銀行はまだ開店前。 そのスペースに布団を敷いて私は眠っている。 通りに面した玄関の扉が半分開いており、 表の光が差し込んでいる。 背中にパウダーを付けた小さな裸の女の子が、 背をこちらに向け、 外光を受けている。 背中の背骨や肩甲骨がくっきりと浮かんでいる。 -- 1989年6月4日(土) ゴキブリ トイレの便器の中に、 大小2匹のゴキブリが入っている。 その中には、 私がそのゴキブリに与えている金目鯛の切れ端も入っている。 ゴキブリは前は猫だった。 私は、 小さいゴキブリに大きな切れ端を与えようとしている。 魚の切れ端は、 頭と尻尾と真ん中の3つある。 焼き魚なのに、 尻尾はまだ動いている。 もう頭もないのに、 自分の頭のあった方向を向いて動いているのが不思議だ。 -- 1989年6月10日(土) 電車の美容院 町中を走る市電。 終点は間近いが、 道が混んでいて進まない。 途中の駅名は確かに東京の地名だが、 終点は京都らしい。 私の乗っている車両は、 美容室だ。 女性の店員がどういう髪型にするか訊ねてくる。 話している内に襟足やサイドを刈り上げることになった。 髪型の註文は出来たのに、 ここでは市電が止まらないと散髪が出来ないという決まりらしい。 電車はのろのろと走ったままだ。 何だか髪を切らない内に終点へ着いてしまいそうだ。 -- 1989年6月11日(日) 西瓜売りの屋台 夜。 何もない住宅街を歩いていると、 屋台の並ぶにぎやかな明かりが見える。 その向こうにはトンネル、 列車が走る。 電球の明かりが賑々しい屋台。 店のおじさんがなむろしている。 屋台には、 西瓜やたくさんの果実を売っている。 端の屋台から慎重に買う西瓜を吟味する。 私は試食用の真っ赤な西瓜を匙で食べている。 とても甘い。 1列に並んだ屋台の奥まで行くと、 突き当たりには本屋がある。 もう閉店間近なのか店員が本を片付けている。 -- 1989年6月26日(月) 川で泳ぐ 幅の広い浅い川。 川は町の中央を通っている。 私達はその川で漂うように御泳いでいる。 たくさんの人々。 私達は一緒に泳いでいるうちに急な流れに捉えられてしまったようだ。 でも怖くはない。 眼前の流れの尽きるところには、 たぶん滝があるはずだ。 しかし怖くはないのだ。 -- 1989年6月27日(火) 蕎麦の失敗 台所蕎麦を茹でている。 台所の窓から陽が差し込み、 俎板の上に散らばった青い葱の微塵切りを照らしている。 別の鍋の鰹出汁に味付けをするが、 濃くなりすぎて失敗してしまった。 どうしよう。 鍋の出汁を薄めて作り直した方がよいだろうか、 悩む。 せっかく、 鰊まで員って用意万端整えておいた蕎麦なのに。 とてもかなしい。 -- 1989年7月8日(土) 神社の中の新しい事務所 区役所前を上っていき、 代々木公園の入口のある突き当たりを左に斤れた、 NHKの辺りに神社がある。 その神社の中に私達は入っていく。 夜だというのに少しも怖くはない。 境内の中は電灯もなく真っ時だ。 だがその闇の中に怯えさせるものは少しもない。 その神社の奥には、 私達の新しい事務所があるのだ。 そこは社の隣の2階だからという事でとても安くで借りられたのだ。 事務所の中は、 フローリングの床と幾つかの机と椅子が置かれている。 スタンドライトの橙色がぼおと点いていて、 暖かげだ。 しばらくそこにいてから、 私達はまた外へ出かける。 また真っ時な境内。 境内の入り口近くには、 警備のおじいさんが懐中電灯を持って、 少いていた。 -- 1989年7月8日(土) 神社へのお参り 私達は神社の中に新しい事務所を借りたので、 一応その神社をお参りにいく。 壁1列にずらいと、 朱色の巨大な門がそびえている。 私達はその壁の右から左の奥へと向かって、 ひとつ一つの門を拝み、 挨拶していくのだ。 ここの雰囲気は仏教の盛んだった頃の昔のインドみたいだ。 朱色の巨大な門の向こうには、 中国の紫禁城のような建物が見え、 そのまわりをたくさんの人々が歩いていたり、 馬を引き連れていたりする。 私達はその門の中に入ることはなく、やはり右から左へ、 ひとつ一つを丁寧に拝んでいく。 だんだんと奥に近づいている。 いつもの夢で見慣れた神社への入口へ近づいてきた気配がする。 いつもの、 巨大な塔や社が時い境内に立ち並ぶ、 時い森の奥の神社への入口だ。 -- 1989年7月10日(月) 転がる黒い帽子 明月荘の前の坂道。 黒い麦藁帽子が何かの拍子で自分の頭から転がり落ちていった。 帽子は坂道を鞠のようにころころ転がり、 車の通る大通りをうまく転がり抜け、 次の上り抜へ転がり上がり、 少しいったところで急に止まり、 また来た道を同じように戻り返して、 ころころと自分の足元へ戻ってきた。 -- 1989年7月10日(月) 唇に紅を塗る 誰かの唇に、 私が赤い紅を紅筆で取って塗ってあげている。 かたちの整った唇に、 紅を縁取り、 丁寧に中を塗り潰していく。 多分この人は女性だろう。 だが、 私にはその人の唇しか見えない。 そのまわりの白い白粉の塗られた白い肌だけは見えるのだが、 鼻だとか瞳だとか身体だとかいったものはまるで存在すら感じない。 私はただ懸命に紅をその人の唇に塗っている。 上の方から、 その人の声だけだ聞こえてくる。 「もっと濃く塗らなければ取れしてまうから駄目だ。」と。 私はその声に、 又もっと丁寧に厚く紅を塗り潰していく。 -- 1989年8月27日(日) 本を理める 本を理める。 深く深く堀った地面の中に。 こども達の教育のためにそうするのだ。 -- 1989年9月27日(水) 奇妙な人 どこかの世界を探険している。 ファンタジーなたいな世界だ。 私はここを1度夢で見知っている。 だから1度見た夢をまたなぞっているみたいなのだ。 中世のような石の階段を上っていくと、 人工の四角い池のまわりに、 蛇の体と人間の頭を持った奇妙な人達がいる。 彼らは中世の貴族のように羽飾りの帽子を被り、 織物の胴着を着て、 手には大きな杯を持っている。 私は、 その奇妙な人の細長い体に大きな石を載せて動けなくしてしまう。 そしてまた石の階段の下へと降りていくのだ。 -- 1989年10月4日(水) 真昼の夢 迷路のような街。 曲がりくねった路地が、 神経のように絡み合っている。 私はそのひとつの路地にいる。 そこは、 天窓からか入口からか光が差し込んでいる。 光に照らされるように、 冷蔵庫の前のたたきに牛乳がこぼれている。 不思議な猫がやってきて、 その牛乳を舐めている。 私はその傍でそれを眺めている。 真昼の夢のような景色。 -- 1989年10月4日(水) 兎の内臓 兎の内臓がいくつか置かれている。 これは大変美味しいのだと、 誰かが言う。 その内臓は、 乾燥した大きなレバーみたいだ。 また他の誰かが、 この内臓の皮を引っ繰り返して食べるのだとも言う。 私は、 兎が毛を剥がれて解体されているシーンを思う。 不思議と生々しくなく、 血の1滴すらこぼれない情景。 音のない演奏会、 没者の出ない芝居。 -- 1989年11月10日(金) 水猫、 寺院 家の中に大きな池がある。 そこで泳いでいると、 体が真ん丸に膨れあがった大きな猫が浮いている。 水猫というのだ。 私達はとても仲良しだ。 猫はとても柔らかくて抱き締めると、 暖かい気持ちになれる。 この猫は、 私がコンタクトレンズを外している間だけ一緒にいることができる。 コンタクトを付けてよく見えるようになると、 水の中に戻ってしまうのだ。 私は黒い服と上着を着て、 出掛けていく。 街では、 秩序のない若者達でいっぱいだ。 昔の中学へ逃げ込む。 そこは、 うっそうとした森の中にある。 苔むした塀の上によじ昇って、 中へ入ろうとするが気持ちの悪い魔物たちが邪魔をして入れない。 塀の上を右往左往していると、 いつのまにか私の後に水猫がついてきている。 私と水猫は、 塀の上から降り、 正門の方へまわってみる。 寺院のような正門。 中から扉を開き、 私達を招き入れようとする人がいる。 中へ入ってみると、 暗い蝋燭の灯った寺のような場所に、 橙色の着物をきた人々がいる。 -- 1990年1月16日(月) 猫達の帰宅 白猫と三毛猫が新しい家へ帰ってきた。 猫達は、 2階の両親の部屋へ入っていった。 三毛猫は、 捨てていかれたことを怒っている反面、 戻ってこられたことを喜んでいるようでもある。 それらが入り交じって興奮して父の腕に噛み付いている。 噛み付いたまま、 なかなか離さないでいるので、 私は傍いあったティッシュの箱を投げつけて大人しくさせようとするが、 体が動かない。 えいっと思って動いたら目が覚めてしまった。 再び夢に戻っている。 さっきこんな夢を見たと父に話したら、 それでは皆で猫を迎えに行こうということになる。 私と兄と父と母と4人でバスに乗って祇園の家へ戻る。 すると、 物干しのところに白猫が弱ってうずくまっている。 あちらこちらから布切れ等を集めてきて、 自分で巣のようなものをこしらえたようだ。 駆け寄ると、 猫は弱々しく哀しげな、 そして機械のような声で、 「会えてよかった。 会えてよかった。」と繰り返して言うのだ。 初めて聞いた猫の声がとても哀れで、 私は胸が一杯になる。 誰かにくくり付けられていた様子で、 猫はすっかり弱っている。 私達は、 しっかりと猫を抱えて新しい家に戻ってきた。 -- 1990年3月29日(木) 鯨の尾鰭の行進 鯨がこどもを産むために川を上っていくというニュースが街を賑わせている。 街のあちこちの川で、 鯨の尾鰭が進んでいくのを見たとかいう市民からの情報がテレビに寄せられている。 黒いの大きな尾鰭はとても立派なもので、 その姿だけからでもとてつもない大きさの鯨たちが一斉に街を越えて上流を目指して進んでいると思われる。 しかし浅いはずの川の水面に尾鰭だけしか見えないのは不思議だ。 テレビで近くの川を鯨が進んでいくのを見た私は、 急いでそこへ駆けつける。 すると、 舞台セットのような尾鰭が川を進んでいくではないか。 不思議な光景だった。 -- 1990年4月4日(水) 島からの脱出 小さな島。 ここから脱出しなければならない。 残っていた人々が最後の船に急いで乗り込む。 風が吹いている。 嵐がやってきそうだ。 船は10人も乗れるか乗れないかというほどの小さなもの。 私も最後に乗り込むが、 すぐ後の船の縁がなくなっており、 いつ浸水してきてもおかしくない。 海は嵐で荒れている。 はやく戻らなければ。 私達は中国大陸の近く、 本土の近くの島にいる。 -- 1990年4月4日(水) 泳ぐ 体育館のような大きな場所。 ふわふわと空を飛んでいるようだ。 さっきの島から脱出してきたところのような気もする。 体育館では皆がふわふわと空を泳いでいるのが当たり前だ。 風船のようなものにつかまっている人もいる。 そして、 空中で互いに話を交わしあうのだ。 体育館の外は暗闇だ。 私達は、 この暖かい、 明るい温室のような体育館でふわふわと空を泳いでいる。 -- 1990年4月18日(水) エレベーター・金魚 地下の駐車場は暗くしてかも広い。 地上の明るい光が差し込んでいる。 骨組みだけのエレベーターに乗っている。 そしてこのビルも骨組みだけになっている。 骸骨のような建物の中を骸骨のような箱が上がったり下がったりしているようなものだ。 すべてが丸見え。 私は、 小さな金魚をビニール装に入れて下げている。 そして小さな金魚鉢も。 部屋に戻ったら金魚をその鉢に移してやるのだ。 しかしエレベーターは部屋には着かず、 いつまでも上昇し続ける。 こどもを連れた母親が乗ってきた。 私達は、 下のにぎやかな遊園地のような駐車場を眺める。 私はこどもに、 金魚をあげようかと言う。 でも子供は、 その金魚の入っている水は汚いからいらないと答える。 そういえば水は黄色く濁っている。 そのうち、 親子はいなくなり、 私は骸骨のようなエレベーターに乗ったまま、 建物の屋上へまで来ていた。 体がねじれて、 もっていた金魚の入っているビニール袋もねじれている。 子供の声がして、 金魚がねじれて死んでいることに気づいた。 -- 1990年5月8日(火) 祈り 私はタクシーに乗っている。 タクシーは山道を分け入り、 次第に寺の山門のような場所へ入り込んだ。 運転手は、 私は観光案内に連れていってくれているのだ。 山門の低い石段を車で上がり込み、 山門のすぐ前で車を停車した。 古い老木でできた山門を見上げる。 失色の鳥居のようにも見える。 私と運転手はここから歩いて中に入る。 白い境内にはまばらに人がいる。 寺の中へ入って、 お賽銭を投げ込む。 運転手も何か祈っている。 私はまずひとつめのお祈りを長い時間かけて祈り、 それから思い付いてまたふたつめの祈りを祈り始めたのだが、 運転手がもう行こうと促すので、 短くしか祈れなかった。 何かとても大切な人々のことを祈っていたような気がする。 次の間に入ると、 そのは土間で、 小さな瓢箪池とその真ん中に橋が渡してある。 池の向こうは出口で、 そろそろ僧達が扉を閉め始めている。 何やら暗くなってきた。 運転手が、 もう閉門するから早く出なければいけないような事をいった気がした。 しかしまだ幾人かの人々が池のまわりに立って、 賽銭を放りこんだりしている。 池の水面は、 黒緑にゆくる濁っていて、 底無しに深いらしい。 私はそこにもふたつ分お賽銭を放りこむ。 開いた出口がひとつになった。 そこから表の白い光が差し込んでいる。 私達はそこから出ていった。 -- 1990年7月8日(日) 刀 私は刀を持っている。 小さな船の上で、 誰かとふたりで話をしているうちに、 私にはどうしてもその人を許せない事情がでてきた。 刀に手がかかる。 その人も刀を持っている。 しかしその人は、 自らの刀で腹に細い線を描くようにして自分を傷付けてしまった。 その人はゆっくりと時間をかけて死んでいく。 私はその人がほんとうに死んでしまうまで、 船の傍らで見続けている。 そしてその人が死んでしまうと、 私は四角い棺のようなかたちの船の縁を歩く。 私の持ってた刀で船の縁に触れると、 刀の触れた部分に小さな炎が点く。 私はゆっくりと船のまわりに火を点けていく。 船が炎で巻かれ始めると、 私は桟橋へ向かって水面へ飛ぶ。 水面はまるでゴムのように弾力がある。 水面を何度かジャンプして桟橋へ戻る。 船は炎の棺のようだ。 桟橋へ戻ると、 水面は普通の道路に変わり、 燃えている船は燃えている車へと変わり、 駐車していた外車にぶつかりながら、 通りの向こうへ漂うように進んでいく。 私はその燃える車を見ながら、 自分がその人を殺してしまった気がしていた。 -- 1990年9月17日(月) SMショウ テレビかステレオをつけると、 ブラウン管もない部屋の中に映像が映し出される。 茶色い髪の、 赤い猥雑な衣装と赤いハイヒールをつけた女性が横たわっている。 彼女は、 変な未来服のようなものを着た男性とセックスシーンを演じている。 ふたりとも、 女性の足の踵がとか胸の下部とかいった訳のわからない部分を触って喜んでいる。 変態じみた雰囲気だ。 これはポルノビデオなのかもしれない。 -- 1990年10月6日(土) ライオンの逃亡 パノラマのような港が見える。 たくさんの船が港に着いている。 ライオンの親子が、 追われている。 父ライオンはどこかに連れていかれてしまった。 子ライオンは、 海軍の船長に追われて港を逃げ回る。 そしてついに海へ落ちてしまった。 しかし助かった彼は、 船に潜んで父親のいる場所を探す。 港の奥は、 山道。 そしての奥に、 参道、 鳥居、 神社がある。 境内の石畳の向こうで父親が連れられていくのが見える。 そこへ行くには門番が邪魔して入れないようだ。 -- 1990年11月13日(火) 蛙を捕まえる 寺町三条を上がったところ、 通りは深い川になっている。 胸の辺りまで水がくる。 その中に私はすっかり浸かっている。 大きな金魚が、 私の足元で死んだようになっている。 私の裸足の指先にその金魚のぬめぬめとした肌が蛙れて気持ち悪い。 川のほとりに家がある。 その岸辺に水槽を置いて、 私はそこで捕まえた魚やも草などを入れている。 通りには、 店が並んでいる。 旧式の黒い扉。 江戸時代の商家のような古めかしさ。 扉はきっちりと閉められている。 小さな蛙を見つけた私は、 その蛙を捕まえようとする。 手に蛙のやわらかい体を握り締めただ、 その気持ち悪い感覚に驚いて目覚めてしまう。 目覚めても、 その感覚が手に残っていて怖い。 -- 1991年2月4日(月) 復元された寝観音 足場だけの木造の組み立て建築物。 まるでジャングルジム。 もしくは寺。 私はその足場の上にいる。 誰かに案内されて。 広い足場を下りていく途中の中屋根に、 巨大な寝観音が4体ある。 京都にいる頃に見たことがある。 その時には頭から下の体は壊れていて、 上半身だけしかなかった。 今度やっと復元されたらしく、 寝観音は長方形の屋根の上の4隅にそれぞれ位置し、 大きな体全部をゆうゆうと寝そべらしている。 屋根の向こうには海が見える。 だからか寝観音は海を眺めて寝そべっているような格好。 とても気持ちのいい風景だ。 -- 1991年2月5日(火) 放水された川 ごつごつした舗装されていない道を誰かと歩いている。 道には水の流れていない川の跡が見える。 私達はその土手沿いをどんどん上っていこうとしている。 するとサイレンの音がどこからか鳴り響く。 上方から大きなうない声とともに水が流れてくる。 私のいる土手にまで水飛沫があがる。 水の流れとともに、 龍の格好をしたジェットコースターのような船に乗った若者達が歓声をあげて向かってくる。 -- 1991年5月22日(水) 満月を見た とんでもなく大きな満月だ、 手の届きそうな、 すぐそこの空にぺたんと貼り付いている。 平たい、 白い、 何だかぺらぺらした月だ。 ああ、 そうか今日は満月だったんだと思う。 とてもきれいな正円の、 真ん丸い大きな満月だった。 -- 1991年5月22日(水) ヤクザの親分 まるでヤクザの親分みたいな人と一緒にいる。 -- 1991年5月28日(火) 物干しの上 祇園の家にいる。 物干しの上には大勢のこども達がたむろしている。 変なのだが、 屋根の上に皆集まっているのだ。 私は女の子達を追い払おうとしている。 するとまわりにいた男の子達が、 ビートルズだったことに急に気付いた。 -- 1991年6月2日(日) 馬的士の話 タクシーを呼び止めると、 それは馬だった。 運転士は、 馬の牽いている。最近のタクシーの中にはこういう馬的士(うまタクシー)というものもあるらしい。 私が行き先を告げてその馬に乗ると、 運転士が先に走りだす。 馬も運転士に牽かれて走りだす。 住宅街を抜けていく。 千駄ケ谷方向へいくにはこれが近道なのだ。 しかし住宅街を抜けると一方通行で、 先に進めない。 車の混じって、 馬的士が走る。 一方通行の道をやめて、 再び住宅街へ。 右へ回って、 細い石段を上る。 これが近道らしい。 馬的士ならではの近道だ。 階段をあがると駅の構内だ。 馬的士はそこも簡単に通り抜ける。 しかし、 なかなか目的地へはつかない。 何だか失敗したような気がする。 -- 1991年8月6日(火) 原っぱの布団 原っぱのような学校の校庭のような場所にいる。 そこには、 いくつもの布団が1面に敷かれていて、 皆それぞれ寝床を持っている。 蟻が歩く湿った草地の上に、 直に布団が敷かれているのだ。 私は蟻が気持ち悪い。 私の寝床は端から4番めか3番めにあったのだが、 うろうろしているうちに誰かに取られてしまった。 仕方なく1番端の寝床のところへ行ったら、 寝床を半分分けてくれるという。 -- 1991年8月7日(水) ビデオの中の不思議な世界 ビデオを見ているうちに、 その世界に入り込んでいた。 見たこともない変わった巨大動物や巨大花があちこちにいる。 しかもカラフルだ。 まるでマッキントッシュで作った動物や花の世界に入り込んでしまったような気もする。 四角ばった恐竜、 奇妙な花弁を何十にも重ねた巨大花。 向こうに山が見える。 みなその山のまわりでうろうろとしているようだ。 -- 1991年8月7日(水) 変わった集合住宅 言か年上の女の人と一緒に、 少し変わった建築物を見に出掛けている。 それは集合住宅で、 室内に籐でできた赤と青の篭を吊してある。 その赤と青の篭が、 交互に室内に吊されているのが、 その建築の特徴のひとつでもあるらしい。 赤と青は、 現代美術の作品のようにも見えるのだが、 室内にはすでに雑多なものが置かれ、 そこらじゅうに洗濯特やらいろいろなものが所狭しとあり身動きとれない。 その部屋は老人夫婦が住んでいるようだ。 私はその雑多さぶりに呆れて立ち尽くしている。 向こうの棟の部屋の窓にもまた赤と青の篭が見えている。 その部屋には連れの女性が見て歩いている。 私はこれ以上見ても仕方がないような気持ちになった。 雑多な室内から、 住人に礼をいって外へ出ると、 連れの女性が来ていた。 外は、 中庭のようになっていて、 中央が窪んだところに小さな銭湯がある。 小さなこどもがやっと通れるくらいの低い通路を抜けると湯槽などが見える。 私はかがみながらその通路越しに、 中の様子を覗いていた。 -- 1991年8月10日(土) 海の近くのコンプレックス 港の近く。 ボンドストリートのような場所を歩いている。 大きなショッピングコンプレックス、 通りをはさんで巨大駐車場がある。 巨大駐車場は、 円形のドームが渦巻いているようなかたちで、 a.z.b.の模型にそっくりだ。 私はそこは誰かと歩いている。 寂しい海風が大きくうねる空をみながら、 巨大な場所で迷子になったみたいな気持ちになる。 通りに観光バスのようなものが停まっていて、 人が下りたり入ったりしている。 私はどこに属しているのだろう。 -- 1992年1月25日(月) TWIN PEAKSの夢の中での再放送 テレビで放映されているTWIN PEAKSとそっくり同じシーンが夢の中にでてくる。 第1章のところからずっと同じ。 終わりに何かちがう夢の中に紛れ込んでいったが、 その後の夢はよく覚えていない。 -- 1992年2月24日(月) 大谷探検隊の発見した正方形の穴の遺跡 大谷探検隊がインドか中国の奥地へでかけていって、 新たな遺跡を発見したらしい。 そこは、 人がひとりようやく入れそうな小さな正方形の穴が、 砂地の地面にぽっかり開いているだけのものだ。 しかしその穴の深さは、 計り知れない。 夢の中では、 その穴についての正確な深さと形状についての数値がきちんと出ていた。 深検隊はその深い正方形の穴にひとりずつ降りていき、 遺跡を探検したらしい。 私はニュース映画を見るように、 その映像をどこかから見ていた。 -- 1992年3月5日(木) かよわいいのち 何か人形もしくはそれに似た、 機械か、 オブジェのようなものを何体もつくっている。 それは、 物凄くかよわい、 いのちだ。 痛々しくて、 弱々しい。 まるで短いいのちを決定づけられた生まれてきたようなもの。 蜻蛉のような弱をその体から生えさせ、 白い少女のような形をしている。 -- 1992年3月5日(木) シンメトリーの双子 隣の家のおばさんが気が狂ってしまったみたいだ。 私はご飯粒のいっぱい付いた大きなお茶碗を食べさせられる。 曾祖母が双子になって、 シンメトリーになっている。 曾祖母はいつも私を助けてくれるのに、 今日は助けてくれない。 -- 1992年6月2日(火) バス バスに何人かの女性と一緒に乗っている。 彼女達は若い。 でも彼女達はこれからレイプされるために、 めいめいの降りるべき停留所で降りていくのだ。 それが彼女達の決められたことだ。 彼女達はそのことを厄介なことがと思っているが、 そのあと皆とどこで落ち合うかについて持ち合わせの約束をしたりもしている。 よくわからない。 1番めの女性が、 彼女の受けるべき運命と出会うために、 停留所で降りていった。 -- 1993年3月31日(木) 夢の中にある、 もうひとつの京都 四条通りから縄手通りへ上がっていく。 私は誰かデビッド・ボウイみたいな男性と一緒に歩いている。 石畳の道を歩いているうちに、 私はその人に、 いつも夢の中で架空の京都の町にいることを打ち明ける。 それは、 本物の京都に非常に似ているのと同時に、 まるで異なった街でもある。 本物をコピーして、 それを下敷きにしてまるで違った街を創り出したみたいなのが、 夢の中にある京都だ。 そう話しながら私は、 いま自分の目に映っている石畳のリアルさに目を奪われる。 きっといまは目覚めている現実で、 私は自分の夢のことを誰かに話しているのだと確信していた。 一緒にいたその人に、 白川の小道を見せたくなって案内する。 でもそこは行き止まりだった。 ここはまだ夢の中のもうひとつの京都だということを忘れていた。 私が入り込んだ小道こは、 白い清潔な石畳に囲まれた池が中央にある。 そこは何か祭られた社だったのか、 それとも何かの記念碑だったのか。 それで、 私はまだ夢の中にいるんだということがわかった。 私は前にもこの場所を夢の中で歩いていたではないか。 そうだったんだ。 -- 1993年4月9日(金) 処刑 粗末な小屋のようなところに何人かの人々が集められている。 彼らもまた粗末な格好をしている。 外は冬のようだ。 ここは収容所のような場所らしい。 背の低い中国人の祭司のような者がやってきて、 皆を処刑するといっている。 ひとりの男を引っ張り上げて、 外へ引き出すのかと思うと、 いきなりその場で太い紐をだして、 首を絞めはじめた。 その首を絞められている男は、 私だ。 太い紐が首を絞めつける。 まわりに恐怖の波がざわめいているのを感じる。 意識を失って倒れてしまった。 -- 1993年5月24日(月) 京都 バスに乗って、 夢の中の京都へ向かっている。 東山三条。 ほんとうは河原町の方へ向かいたいのに、 なぜか反対に遠回りをするバスに乗ってしまった。 東山三条の入口で降りると、 その商店街には人形を作る老人が店を開いていた。 彼の作る人形は、 等身大の大きさの艷かしい少女だ。 彼は店の入口にその人形を抱いて座っている。 -- 1993年9月8日(水) 浅蜊の亀肉 780円パックは牡蛎と浅利の詰め合わせをふたつも買ってきた。 でも開けてみると、 牡蛎はただの大きな古木のかけらで、 浅利には亀の肉が入っていた。 浅利を味噌汁にして食卓にだした。 すると、 食卓を囲んでいた派手な化粧をしたおばさんか「この亀の肉は固い。 きっと安物の亀肉を買ったんでしょう。」という。 食べてみるとそうでもないのだが、 彼女は食べ物、 特に亀の肉には高いお金を出すらしい。 私はそれより、 浅利の貝の中身が亀肉であるという事実の方に驚いている。 浅利がぽっかり口を開けると、 浅利の肉のかわりに小さなこどもの亀が中に入っていたのかもしれない。 -- 1993年11月13日(日) 地下の世界、 船、 黒髮の青年 私達は幾人かの人々と不思議な船に乗っている。 地下を走る船。 まるで遊園地のダークライドみたいだ。 でもそれは偽物の地下の世界ではなく、 本物の地下の世界だ。 私達はそこでの旅を終えて、 ようやくビルの何階かの出口へたどりついた。 ビルのフロアへ船を乗り付けてから降りる。 ビルの窓から通りが見える。 夜の街、 照明に照らされた通りに、 黒い髪の男性が立っていた。 彼は目が合うと、 2、 3階はある建物へジャンプして上がってきた。 よく見ると、 知っている顔だ。 あんなに小さなこどもがこんなに大きくなったのかと思うと不思議だ。 しかも彼は超能力を身に付けているようだった。 それから我々は何か新しい計画について考えていかなくてはならない。 -- 1993年12月7日(火) 土を食べる 事務所の台所を片付けていると、 水道の蛇口のしたにぽっかりと穴が開いている。 床の下の土の状態や、 高速道路など、 外が直接見える。 その暗い土のところに何かがいるのもわかる。 台所は片付いていて、 きれいだ。 私はそのきれいになった台所に何か動物の置物のようなものを置こうとしているところだ。 暗闇の中にいる気配が、 私に、 土を食べさせた。 口のなかに、 じゃりじゃりとした感触と、 冷たい湿り気を帯びた土の質感が広がる。 その感じはずっと口の中に残っていた。 -- 1993年12月24日(金) 救出 どこかの収容所に似た場所に囚われている。 そのうちのひとりは、 巨大な蜘蛛の巣につかまって死んでしまった。 彼女はゆっくりと下半身から食べられていったので、 しばらくの間は残っていた上半身が狂いそうに泣き喚いていた。 そのうち、 残った上半身のかけらは何もわめかなくなった。 私達は救出のヘリコプターを持っている。 -- 1994年2月23日(水) 足を舐める 誰かが狭い部屋の向こうにいて、 それはふたりの中年の男性だ。 片方の男性が、 私の裸足の足をつかまえて舐めようとする。 彼は足が好きなのだ。 私は簡単な仕切りのような扉を必死で閉めて逃げようとするが、 とうとう扉は押し開かれて足だけをぐいっと引っ張られてしまった。 その部屋の壁には、 スーパーの食料品コーナーがあって、 そこからチーズや味噌などを取り出して私の足の指に載せて、 彼はそれを丹念に舐める。 しょうがないので私は、 なせか味噌田楽の味噌を選んで、 彼に渡してあげてしまう。 不思議だ。 -- 1994年5月30日(月) 英語の授業とバッタの襲来 中学のときの英語教師が、 あいかわらずわかりくい発音で黒板に書いた英文を説明している。 彼女は英文の単語を置き換えて、 SEXとかいった言葉に作り直している。 黒板は、 野外に置かれている。 みんなはいい加減にその授業を聞いている様子だが、 私はノートをとりながら、 これが私の最後の授業で最後のノートになるかもしれないのだという思いで必死である。 やがて、 畑からやってきた人が、 バッタが大量発生してきたから室内へ逃げなくちゃいけないという。 その人の胸にもバッタがついている。 でも案外みんな気楽な様子だ。 -- 1994年6月21日(火) 頭、 5つの玉 小さな福助のようなこどもの顔が浮かび上がっている。 その首の辺りには、 5つの玉が並んでいる。 それぞれの玉には、 智・仁・義などの文字が書かれている。 ちょっと宗教的で恐ろしい気もする。 私はそれを見ながら、 今度のゲームに使えるかなとも考えている。 -- 1994年7月28日(木) 腕を煮込む ふたり組の男は、 たったいま引きちぎってきたばかりの人間の腕を手みやげに持っている。 1本の腕は、 肘のあたりで折り取られて、 ふたつになっている。 家族は、 食事を持ってどこかへ出掛けることになった。 私の隣の席にいたこども達は、 屋台のテーブルの上にさっきの食事を並べてまだ食べている。 さっきの腕は、 煮込まれてとても美味しそうに仕上がっている。 これはついさっき持ってきたばかりの肉だから美味しいんだ。 -- 1994年9月7日(水) オレンジゼリーの唇 宮殿たいに豪華な場所。 渡り廊下や、 シャンデリアなどが飾られたまばゆい宮殿。 廊下には、 オレンジゼリー質の唇が、 廊下に張り付いて笑っている。 笑っている口の中には、 すっぽり穴が開いていて、 下へ落ちてしまうみたいだ。 口のまわりのオレンジのカラダには、 緑か黄色の奇妙な斑点があって、 毒キノコみたいだ。 唇は、 何かの罰として、 その知面に貼り付けられているらしい。 -- 1994年11月19日(土) ゲーム体験 広い体育館の中に入っていくと、 そこには、 広大なプールがある。 水ではなく、 何か柔らかな空気のようなものが満たされていて、 その中を宇宙遊泳できるようだ。 ゲームをそこでヴァーチュアルリアリティそのままに体験できるらしい。 私はそこでペンギンを探し出さないといけない。 なんだか大きくてゲームが楽しめるので、 愉快になってきた。 -- 1995年3月1日(水) ヤクザ鬼に追われて空中を浮遊しながら逃げ回る 笹塚の近くまで車で走ってきた。 駅の測道を走ってるつもりが、 そのうち線路にまではみ出して走しまう始末。 駅前は前の夢でも来たことのあるところだ。 あのときは、 環7につながっていた駅前だ。 次の瞬間には、 駅前で女の子と一緒にいている。 自分の部屋を彼女に教えようとしているのだが、 中野通りはここから遠いことに気付いた。 夢の中でちょっと現実とレイアウトがちがうらしい。 それで、 彼女と私は部屋のあるマンションまで行かずに、 左手いある空き地の神社のような場所に行く。 そこにはヤクザのような鬼達がいて、 私はいつのまにかふわふわと空中に浮き上がっていた。 飛ぶのではなくて、 空中を歩いてる、 もしくはかろうじて浮いてるような感じだ。 神社の屋根の高さまでは浮かぶのだが、 それ以上はうまく上昇できない。 これが限界みたいだ。 地上のヤクザ鬼達は、 棒を持ってきて、 私を突き落とそうとする。 私はなんとか手足をばたつかせて、 かろうじて高く上昇し、 その棒を交わす。 けっこう大変だ。 水の中で泳いでいるのにも似ている。 彫刻の施された神社の屋根の裏表に回りながら、 一生懸命空中を逃げ回る。 不思議な感覚だった。 そういえば夢の中の私は、 連れの女の子のボーイフレンドだったらしい。 -- 1995年4月10日(月) スケート場、 ダークサイドな夢の町 ドライブインの近く、 昼も暗いスケート場。 小泉今日子がいて、 スケートをしている。 彼女の恋人と一緒に。 私もスケートを滑る。 自分の足首を手で掴んで腰をかがめながら滑る。 その滑っている感触が夢とは思えないほどにリアル。 それからスケート場のコーヒーショップの方を見てから、 ここは夢の中のいつもの場所だと気付いた。 外の道をまっすぐ歩いていくと、 きっとこのあいばの神社の境内があり、 あのときは入らなかった料亭があるのだ。 でも夢の中の京都は、 最近変化を見せてきた。 どうも近代的な町になってきているのだ。 神秘的な怖い印象はそのままだが。 ダークサイドな町ってカンジか。 いつも、 前に夢の中で行った場所を近くに感じながら、 新しい夢の場所に入り込んでいる感じがする。 -- 1995年5月30日(火) 奇妙な生物を飼っている 洗濯機の上にミミズのようなイカのようなタコのような、 ぬめぬめしたたくさんの足のある奇妙な生物がいる。 そういえば昔からその洗濯機の水道の蛇口のところに、 それがいた気もする。 洗濯機の横の洗面台から水を流した拍子に、 その生物は水に惹かれるようにひょいっとぬめぬめしながら洗面台へやって来た。 気持ち悪いけど仕方がない。 かといって水を街けると、 具合悪そうに身をよじらせる。 とりあえず、 私はその生物をもといた洗濯機のところへ押し返したいのだが、 うまくいかない。 水をかけたりするうちに、 洗面台と洗濯機の間に落ちてしまって、 そこでぬめぬめとうごめいている。 どうしよう。 -- 1995年6月6日(火) 死体だらけの日 祗園の家。 首の取れた死体や損傷のひどい死体が何体か転がっている。 母と友達は、 死体の入っている棺桶に手を突っ込んで、 縫い針と糸を使って、 傷口や取れた首を縫い合わせている。 彼女達は割に平気でその作業をやっている。 向かいの陽の当たる教会では、 牧師が小さな女の子を抱えて教会の奥に連れ込もうとしてる。 その教会の奥にもやはり、 小さなこどもの死体が転がっているのだった。 -- 1995年6月9日(金) 空中を歩く操作方法 街路樹のある通りを曲がると、 京都の新橋の辺りへ出た。 私はハンカチのようなものを広げて、 それは風にうまく乗せると、 空中を飛べることを発見した。 空気にうまく乗ったハンカチの両端に掴まって、 自転車を漕ぐように足を動かせると、 空中に浮かびながら前進できるのだ。 方向性をコントロールするのに若干のコツがいる。 ときどき地面へ落ちることもある。 うまく操作しながら、 新橋の小橋の辺りまで来ると、 ちょうどその家の2階の勉強部屋に同級生がいるのが見える。 家の角でうまく曲がらなくちゃいけない。 彼女の部屋の外壁に足をぶつけて、 うまく角を曲がる。 その拍子に、 彼女の影が少し見えた。 あやうく気付きそうだったけど、 私はもう空気の流れに乗ってずいぶん先の方へ進んでしまった。 小橋の先には、 地の同級生の家がある。 私はその方向へ向かっている。 これは小学校の通学路を辿っているんだと気付いた。 -- 1995年9月4日(月) バイオレンスな街、 頭を切り取られた人 頭を半分以上ぽっかりと切り取られた男の人が、 妻と一緒に、 自分の頭を切り取った犯人を探し回っている。 脳味噌がなくなって、 頭の上半分が開いたまんまなのに、 けっこう人間は動いたり話したり出来るものんだと、 それを見て感心する。 脊髄が残っていると大丈夫なんだと、 彼は言う。 そういうものか。 しかし、 ここはとても血生臭い雰囲気だ。 私は彼女のような体をした男性的な人間を、 ふたり掛かりで押さえ付けている。 彼女の手首を両手で押さえ付けても、 じたばたしている。 何かきっと妖怪のようなものが彼女の体に取り付いていて、 こんな力が出るのかもしれない。 彼女の手を縛ると、 その紐を後ろに回して、 くくった足首の紐と後ぶ。 ここまでやれば、 暴れないだろう。 でもどうして私は彼女を押さえ付けているのか。 なんだかさっぱりわからない。 バイオレンスな街だからか。 -- 1995年10月24日(火) ペットのいる世界、 いなくなったイヌ 見慣れた場所だ。 円山公園にも似ている。 この世界では、 皆ひとりに1ペット持っている。 そして自分のペット以外には関心がない。 猫や犬。 私にもイヌという名の犬がいる。 でもこの公園に洪水が押し寄せてきて、 私のイヌはどこかへ行ってしまった。 私の靴も水に浮かんでいる。 岸に数人の人々が自分達のペットを連れている。 彼らのペットは助かったようだ。 大きな犬に、 ミルクを飲ませてもらっている。 その犬は、 傷付いていて体の肉片が見えている。 私のイヌはどこへいったんだろう。 情けない気持ちで自分の靴を拾い、 反対側の高台へあがってみる。 その高台の茂みには、 多くの猫達が群なして奥へ走っていく。 そのあとを追って、 私のイヌを探す。 公園の中を走いながら、 悲しくて鼻がツンと痛くなってくる。 イヌのことが心配だ。 イヌは無事だろうか。 胸や鼻が刺すように痛い。 悲しくて目が覚めた。 -- 1995年11月10日(金) 賭事の代償に働く 夢の中の京都へ帰ってきた。 そのは明るい日差しで、 ヨーロッパの田舎のようだ。 カフェに入って、 連れが帰ってくるのを待っている。 すると何人かの友達が、 賭事をしていた。 私にも加われと目配せをする。 はずみでジャンケンに加わってしまったら、 1回で負けてしまい、 1000$の負けだと言われてしまう。 ものすごくショックだ。 私はカフェで一生懸命働いたのに、 1日の稼ぎが全部なくなった上に、 まだカフェに借金ができてしまった。 カフェのおかみさんはすごくイイ人だ。 私はなんとかして彼女にお金を返さねばならない。 それに連れが帰ってくる前に、 その借金を返しておきたい。 奥に入るとおかみさんはどこかへ出かけていない。 それで私は1000$の小切手を封筒に入れて、 ここに置いたままにしておくべきかどうか迷う。 迷っているうちに表に連れが帰ってきてしまった。 あんたことをはずみでやらなければよかったと、 ものすごく後悔する。 -- 1996年1月21日(日) 家族が一緒にいるみたいだ 長い長いコンクリートの道と低い階段とがある白い場所で。 歩いていると、 小さい鼠が右肩にのっかってきた。 かまわずにどんどんその不思議な道を歩いていると、 振り落とされないようにしがみついてきた鼠が、 右肩を強く噛んだり爪を立てたりして、 とても痛い。 けれど、 なんとなくその鼠を振り払えないでやっぱり道を歩いている。 -- 1996年3月4日(月) むかしの夢、 毒キノコの道 知恩院の山門に向かって上がっていく道を歩いていくと、 背丈以上もある巨大な毒キノコがいっぱい生えている。 巨大なキノコはラフレシアみたいに、 大きく毒々しい極彩色の色をしているが、 ちょっとディズニーの映画に出てくるようなユーモラスな雰囲気もある。 山門へ至る道中が、 その毒キノコだらけで、 私はそのいやな感じの道をえんえんと歩いていく、 というのが小学生の頃の高熱をだしたときに必ず繰り返し見る定番の夢。 いま思い出した。 -- 1996年4月2日(火) 首切り 首を切り落とされていく女の人。 きれいにすっぱりと。 -- 1996年5月22日(水) 浮かぶ家 彼女の新しい家は、 鉄と金属とコンクリートで造られたモダンなもの。 ホテルのロビーみたいな場所に浮かんでいる。 ロビーでは、 ホテルのボーイが立って、 人の出入りを見張っているようだ。 家自体は、 丸い卵型で、 下からはその全貌がまるで見えない。 浮かんでいる家には、 小さな鉄のハシゴが床面にぶらさがっているので、 そのハシゴを掴んで卵形の家の中に入っていく方式。 家の中は、 外側からの感じとは違ってものすごく広い。 それからその家の中に殺人鬼のような人が紛れ込んできて、 困ったことになったんだけれど、 その後の詳細についてはすっかり忘れてしまった。 -- 1996年5月30日(木) シンリン・スーの増殖する青い部屋 韓国人の女性の名前、 シンリン・スーとか、 そういう名前だった。 彼女の部屋を訪れた。 青い円形の部屋。 天井に向かって、 その円形はどんどん延びていき、 いまもまだ上へ向かって増殖中なのだ。 彼女はもうとっくの昔に亡くなってしまったような気がする。 残された彼女の部屋は、 その遺志を継いでまだ部屋の建築は進められている。 円形の壁には、 ひとつの環ごとに、 小さな小窓が並び、 その中に現代美術の作品が入れられている。 その部屋にいるキュレーターのような人々が、 作品について説明をしてくれる。 聞いたことのある名前の作家の作品。 青い部屋は、 そんなものでいっぱいだ。 小窓にはオレンジの明かりがぽつんぽつんと規則的に灯っており、 暮地のようでもあり、 海底のようでもある。 とても静かな部屋だ。 -- 1996年8月19日(水) 大女と小さい男 狭くて密集した小さな部屋、 学校の教室のように人がいっぱいいて、 過剰なデコレーションがされている。 張り出し窓には、 大女がいて、 大きなスカートの下に小さな男の恋人を挟み込んでいる。 彼は、 大女の足でぐいぐい締め付けられて、 そのうちしなびた細い肉のかたまりになって、 床にぺっしゃりと落ちてしまった。 まわりにいる人達は、 まるで知らめ顔をしている。 -- 1996年8月26日(月) 顔石の並ぶ丘 四角い石が規則的に並べられた丘にいて、 それはイースター島のモアイにも似ている。 その四角い石のひとつ一つに人の目鼻口が現れている。 四角い石の顔達は生きえいて、 喋ったりわめいたり、 うしゃうしゃしている。 ただそこから動けないだけで。 -- 1996年10月25日(金) 骸骨 骸骨と、 それから何か訳のわからないものが出てきて、 そこら辺りで忘れてしまった。 -- 1996年12月3日(月) マップエディットの夢 橋や道のパーツを組み立てて、 自分がこれから歩いていく道を自分でエディットして造っていく夢。 -- 1996年12月17日(火) エモン杉と牛を呑み込む化け物 京都の外れにやってきていて、 街は小さく古びている。 帰ろうとする車の近くに、 大きな寺があるおうだ。 大きな山門をくぐり抜けて、 夜の境内に入る。 水汲み場の上に1体の木が何重にもとぐろを巻いて生えている。 それから、 その枝は表の山門に回り、 大きな枝を広げてそびえ立ている。 枝には1枝の葉も付いていない。 これはエモン杉とかいうらしい。 境内に寝転がって、 エモン杉のダイナミックなうねりを眺める。 不思議な木だ。 そこから境内を出て通りを眺めると、 大きな怪獣のような化け猫のような獣が、 1匹の牛をいたぶっている。 ときどき牛の頭をすっぽり呑み込んで歯をガチガチいわし、 牛をよだれだらけにして解放してやったりうる。 すごく不思議だ。 でも牛が殺されるような雰囲気でもあいので、 もしかすると愛情表現なのかもしれない。 変な話だけど。 それからどこかの机に向かっていると、 急にさっきのエモン杉の夢のことを思い出して、 ああこれはメモを取っておかないといけあいと思う。 メモはすごく上手に書けた。 それから目が覚めて自分はメモなんて取っていないことに気付いた。 損した気分だ。 -- 1997年1月3日(金) 建築石像たちが化け物となって駆ける 古い近代建築物にくっついていた装飾用の石像たちがすべて生き物となって動き出している。 伊東忠太の創ったような怪獣やブタやそんな化け物たちがみんないのちを与えられて動き出して、 ビルの壁面を猛スピードで駆け上がっていく。 野生動物たちが草原を駆けていくような感じ。 そんな光景をビル壁面のすぐ斜め横から間近で見ている。 その迫力あるカメラングルがなんだか映画のようだと思って変に感心している。 -- 1997年1月7日(火) 浮き島居住区と落ち水 いま住んでいる家は、 外側に面した中央のホールに大きな風車のようなものがついていて、 それがモーターとなって、 宙に浮いているらしい。 ここでは、 みんなが浮き島のような居住区に住んでいる。 私のいま住んでいる浮き島は、 ホールに面したガラスからのぞくと、 外側が白いつるつるした強化プラスティックでできているみたいだ。 船にも似プラスティックの表面のリアルさに見とれる。 下は真っ白で、 飛行機に乗って窓を眺めているみたいだ。 眺めていると、 強化プラスティックの表面に上空から水が落ちてきた。 また、 水が落ち始めたのだ。 浮き島居住区は、 限られた空中のスペースを奪いあって、 上下に重なり合いながら浮かんでいる。 よりよい浮き島を持つ者は、 はるか上空置しているし、かなり悪い浮き島を持っている者は地上近くの空中に位置している。 そのせいでひどいことも起こっているらしい。 テレビのニュースがまた、 落ち水の落下予報を告げている。 もうすぐ落ち始めるらしい。 はるか上空の浮き島居住区から、 落ち水がひとたび落ち始めると、 地表近くの浮き島に達する頃には、 ただの落ち水が鉛の重りのよう威力を持ち、 居住区を破壊することがあるのだ。 落ち水は、 上空の浮き島居住区にはりついた積雪や水蒸気が水となって溶け始めたものだとか、 生活下水を廃棄しているのだとか、 いろいろな話がある。 いま、 自分の居住区の外側の強化プラスティックを這う水は、 地上に落ちる頃には凶器になっているんだなと考える。 地上を眺めても、 雲のせいでなにも見えるない。 もちろん遙か下にある地上の居住区もここからは見えない。 -- 1997年1月13日(月) 明月荘のベランダと垂直型の観覧車 明月荘のベランダにでてみる。 下の駐車場では、 となりの奥さんや近所の人々が集まっていてなにか話し込んでいる。 このシーンあ前にも夢で見たことがあるなと思う。 前の夢と同じで、 駐車場のある前庭には、 やっぱりヘンなかたちの垂直型の観覧車がある気配がする。 そして、 ベランダからきっと誰かがやってくるはずだ。 -- 1997年2月3日(月) ウォホールの痕跡をデジタイジングしていく 誰か知り合いの男の人と一緒に、 アンディ・ウォホールが死んだ場所をまわって、 その痕跡をデジタイジングしていく作業をしているらしい。 人気のない町外れにビルがあって、 ビルの向こうでは大規模な建設工事が行われている。 作業の火花、 建設員たちの無表情な顔。 そういうものを眺めながら歩いていく。 廃墟のようなビルの入口、 階段、 そういう場所に、 私達は虫ピンを押してまわっていく。 要するにそれがデジタイジング作業らしい。 階段を上がって、 ウォホールが撃たれた部屋に入った。 大量の血の痕が残った床、 そこにはまだ布にくるまれた死体が転がっている。 ずいぶん時間が経っているので、 よく見えないけれど死体はすっかりひからびてしまっている。 とりあえず、 その死体のまわりにも虫ピンをさしていく。 すると死体が動き始めた。 誰かが叫んで逃げていく。 何かが死体の布の中に入っていて、 それが動いただけだった。 -- 1997年5月9日(金) 空に木 青い空。 それから高い所で風に揺れてざわめいている枝葉のシルエット。 夢の中とは思えないほど、 リアルな風景で。 そんな空を見上げながら、 てくてくと道を歩いている。 -- 1997年5月11日(日) 死んだ大木の森 空中を飛んでいる飛行機から地上を眺めている。 見たこともない国。 平原と谷や山。 そして飛行機は急降下で地上へ降りていく。 うっそうとした森。 木々は高層ビルくらいの高さもあって、 アマゾンの昔の挿し絵みたいだ。 そんな森を抜けて、 いつのまにか私は歩いている。 森の終わり、 左手を振り返ると、 枯れて銀色になった木が網の目のように連なっている死んだ大木の森が見えた。 ものすごくその奥へ行きたくなったけれども、 果てしない道のりのような気がして諦める。 -- 1997年6月19日(木) みにくい赤ん坊 部屋の隅いある台。 たとえばおれは洗面所の2隅が壁に囲まれた台。 おの台上に、 大人のように大きくむちむちひた赤ちゃんが、 肉付きのいい大きな背中と足をこちらに向けている。 まるで巨大の肉の塊のようだ。 背中についた贅肉と、 手足の肉輪。 顔は見えないけれど、 きっとみにくい顔の赤ちゃんなんだろう。 -- 1997年8月24日(日) スニーカーを履いた馬 京都に帰ってきたらしい。 誰かの家の前を通ると、 大きな黒い馬が家の横に住んでいる。 馬はちょっと人間みたいなキャラクターで、 ときどきしゃべったりする。 しばらくしてからそこへ行くと、 彼はスニーカーを貰って4本の足にスニーカーを履いて喜んでいた。 馬の足は疲れるらしい。 スニーカーでも履いてないとやってらんないってのが、 彼の意見らしい。 -- 1997年10月16日(木) 触手の付いた生物船 海に漂っている。 どこか日本の海。 彼の低い、 たぶん陸地に近い湾の中だ。 四角い桟橋が、 陸地の見えない海の真ん中い漂っている。 そして次には海岸に立ち尽くしていた。 海岸には、 触手のいっぱい生えた船が置いてある。 タコの足のような触手。 何本も船体から突き出していて、 それが船を動かしているようだった。 船は、 何かの生物を改造して船にしたものだった。 生き物をそんあ風に使う方法があるのかと思って、 それは眺めている。 かわいそうとかひどいとかそんな気持ちはまるで沸き上がってこなかった。 触手の部分は確かに軟体生物の足で生きている。 足は湿った海岸の砂の中に触手を突っ込んで、 少しでも水分を吸収しようとうごめいていた。 水分がないと生きていけない生物らしい。 まるで今度のゲームに出てくる宇宙人みたいだなと思って、 何の感慨もなく眺めている。 どうしてこんなにも、 何の感情も沸き上がってこないのか。 夢ながら自分でも不思議に思っていた。 -- 1997年11月26日(水) 立方体の浮かぶ空と食卓 空を眺めると、 四角い立方体の光り輝く物体がゆっくり動いているのが見える。 ものすごく近い空にそれが見える。 真下から見ると立方体は、 透明に透けていて、 その中には何人もの黒い人影が忙しそうにうごめいている。 まるでUFOか何かのようだ。 -- 1998年1月12日(月) 四角い兵士を串刺しにする 戦いへ行く夢を見た。 私の兵士はすべてドミノのような将棋の駒のような姿をしている。 兵士は褐色で、 ゴムかスポンジのような感触をしている。 四角い兵士達が整列して私のところへやってくると、 私はこの兵士の頭を5人ずつ串刺しにして送り出してやるのだ。 いくらドミノみたいな兵士でも頭い串を打つのは気持ちが悪い。 でも数を重ねる毎にそんなことはどうでもよくなってしまった。 最後には、 まるで気持ち悪く感じなくなってしまった。 ところで私達は誰ど戦うのだろう? -- 1998年2月2日(月) ヌイグルミの犬と眠る 大きな犬が歩いてきた。 この犬は誰にも大切にされていないみたいだ。 体は熊ほど大きくて無愛想。 私は自分の弟らしい小さな男の子を抱いて歩いていて、 この犬が私達の道案内をしてくれている。 私達は森に入り込んでいた。 夜だ。 犬は地面に穴を掘り始めた。 大きな大きな穴だ。 掘り終えると、 その穴の中に私の弟を加えて入り、 弟の背中に土をかけて暖めてくれている。 私もその穴の中に入って、 じっと暖をとる。 横たわりながら、 犬の顔を眺めると、 それはぬいぐるみだった。 大きな顔には縫い目が見える。 そうか、 この犬はぬいぐるみだったんだと気付く。 なぜか不思議でもなんでもない。 大きな犬に守られているような気分で、 私は穴の中で眠りにつく。 -- 1998年6月3日(水) 預言者 誰かが世界の終末に関するビジョンを見ていて、 そこに囚われたまま出られないでいるらしい夢。 ビジョンを見ているのは女性の預言者だった。 -- 1998年6月8日(月) キャラクターのお尻にコンセントを差し込む ゲーム上のストリートに点在するキャラクターをゲームステージに配置するには、 手のひらに載る程度に縮小されたミニチュアサイズのキャラクター達のお尻に細いコンセントを突っ込んで、 書き出しデータを流し込まなくてはいけないらしい。 そしてキャラクターは人型サイズなんだけれども確かに生きていて、 勝手に動いたりしている。 お尻のコンセントからそれぞれに配分する書き出しデータを流し込むまでは、 キャラクタはじたばた勝手に動き出す。 私はゲームステージ上を走り回ったり逃げ出そうとしたりするキャラクターをぐいっと捕まえては、 お尻にコンセント差し込んでデータを書き出していく。 ちょっとヒヨコの雄雌の見分け作業をしているのに似ている。 もちろん、 実際にはそんなことをしたことはないんだけれども。 -- 夢日記 西川 公子 夢日記をつけて10年以上になる。 毎晩こんなに面白いものが見られるのに、 ビデオのように録画もできないので、 文章にして記録することにした。 老後の楽しみになるかもしれないし。 思い付きで始めた夢日記だけれど、 そのうち、 いつも出てくる同じ場所の存在に気づいたり、 連続短編小説のような夢や残酷きわまりない夢や、 次から次へと趣向を凝らした夢を見るようになった。 もしくは、 見た夢を思い出せる技術が上達しただけかもしれない。 毎日ちがう夢を見たり、 同じ夢を見たり、 いつも同じ場所をさまよったり、 見たこともない場所へたどり着いたり、 まるでちがう人間やモノになっていたり、 よくもまあこんなにいろいろなことを思い付くものだ。 ただ眠るだけで毎晩こんなに不思議なものが見られるのに、 人はいろいろな面白いことに気付かないで生きている訳だ。 とまあ、 単にひとりで楽しんでいた夢の記録が、 そのうち仕事のプロジェクトのひとつになって、 新しくプレイステーション用ゲーム『LSD』ができあがった。 夢を見るのは、 知らない世界を歩いているのに似ている。 何か起こるかもしれないし、 何もなく終わっていくこともある。 『LSD』は、 そういう夢の中を歩いている感覚にとても近いと思う。 そして、 同時にこのような素晴らしい本『LOVELY SWEET DREAM』もできあがった。 アーティストの方々が、 かたちのなかった夢に新しいかたちを与えてくださった。 眠って見ていた夢と、 起きてから思い出した夢とにはズレがある。 自分で書いた夢日記でさえ、 どうか本当の夢とはズレている。 その夢日記を読んだアーティストの頭の中でもまた微妙にずれて、 夢が再構築され、 これらの作品ができあがっている。 これはただの夢の絵日記でなくて、 また新しい夢の世界なのだ。 夢を分析しようとか、 そういう難しいことは考えないで、 あたかも夢を見て歩くようにこの本を楽しむのが1番ふさわしい見方だと思う。