事務所訪問 OSD アウトサイドディレクターズカンパニー 佐藤 理 OSAMU SATO  樋口修古の小説に「針路はディキシーランド」という作品がある。主人公である19歳の伊東卓他は大学受験に失敗し、将来の進路を決断しかねていたところ、資産家で少々変わり者の祖父と海外へ旅することになる。主な目的地は、チリとアトランタだ。旅を続けて様々な人に出会い、カジノでギャンブル等を体験するうちに、将来に明確な夢を持たなかった青年が、次第に自分の生き方を掴んでいく。そんな話だ。  佐藤理さんは架空の小説ではなく、現実世界でこれと酷似した青春を送っている。2度の芸大受験に失敗し、失望していた彼は、家族の勧めもあって渡米した。英語の習得とアートスクールの探索が主な目的だ。半年間後、帰国する。  「19歳の頃にアメリカに行ったことで、全然人が変わりましたね。向こうでは、自分をプレゼンテーションして、コミュニケートしないと、忘れられてしまう。それまで人に積極的に接するような子供じゃなかったけど、人間がコロッと変わっちゃったんですね」。さらに人生観も一変した。それまでの“一流美術大学から一流企業への就職”という固定概念を 捨て、別の生き方を模索し始める。帰国後、嵯峨美術短期大学と京都工芸繊維大学に進学。デザインと写真を学ぶ。  彼は大学時代に音楽を始める。当時はテクノポップが全盛であった。バイト代を全てシンセサイザーなど機材購入に注ぎ込み、環境音楽を制作、NHKの番組テーマ音楽を手掛けたこともある。成田忍さんは、当時彼と音楽を活動を共にした一人で、現在はプロのミュージシャンとして活躍している。  「佐藤君はミニマル音楽を演ってました。〔*1〕音楽的知識よりも感覚で勝負する人。その感覚が今のデザインにつながっている気がします。幾何学的で、少し妙な感じの音だった。カーキの米軍のお下がりを着て、見た感じからして得体の知れない人でした。家で寡黙に音楽を作ってるタイプです」 コンピュータとの対話がモニターに新しいビジュアルを生む  学校卒業後、’85年モス・アドバタイジングに入社。新設部署に唯一の新人として参加する。佐藤さんによると、その部署は会社各部の個性の強い人間だけを集めて再編した、という印象があった。チームプレー不得意の個性派揃いのため、この部は2年で解散するが、それぞれのメンバーは現在独立し、編集者、カメラマン、放送作家等で有名人となっている。佐藤さんはここで、各人の手伝い及びレコードジャケットのデザインをして、仕事の流れを覚える。同時にディレクションの仕事の大切さを知った。部署消滅と同時に佐藤さんも独立。’87年フリーとして、レコードジャケットや入社案内のデザインを手掛ける。当時から影響を受けていたのが、ロシア構成主義、未来派、ダダであった。文字を使った構成に興味を持つ。文学の形や雰囲気が、意味を理解しなくても十分面白い。’88年に事務所設立。レコードジャケットのデザインが呼び水となり、音楽雑誌「B・PASS』 全体のアートディレクションを依頼されたのだ。〔*2〕これを機に人員を募集、その約半年後に会社組織にした。レイアウト作業の軽減、機能化を図るため、初期のMac.IIを購入する。約3年半前のことだ。「これはイケルな、っていう感じがした。以前からカチッとしたデザインが好きだったし、コンピュータが自分の個性になる予感がありました」  そして現在の作風を形成するきっかけとなったのが、’91年の坂本龍一氏の仕事である。福岡市「アジア太平洋博」のために坂本氏がテーマ曲を作りライブ演奏した。そのポスターと記念CDのデザインを依頼されたのだ。〔*3〕学生時代からテクノ一辺倒だった佐藤さんは、“神様的存在の坂本龍一”の仕事に当然大いに奮励した。夏休み返上で、連日モニターに向かううちに、彼の作風ともいうべきものが確立したのだ。  「“自分の名前を出して、自分の作品として発表できる物を持ったほうがいい”。家族がほとんど芸術系だったこともあって、よくそんなことを言われたんです。でも実際自分の好きなもので、僕らしい表現って何だろうと考え続けていた。この仕事をやり終えたとき、“ああコレか”と思ったんです」  CG爛熟のデザイン界における佐藤さんの作品を、デザイナー永井一正氏はこう語る。「個展では、アルファベットというモチーフを借りて、緻密な世界の造形に成功していました。〔*4〕  緻密というと冷たいイメージになりがちですが、佐藤さんの場合、細部に神経が行き渡っているので、むしろ人間的な感性を感じ取ることができる。緻密ながら、全体の印象を暖かい感じに仕上げているのは、相当な造形力だと思います」。永井氏は、佐藤さんのJAGDA加盟推薦人になっている。  ドゥードル・アートというのは、無意識のうちに人が描く形を生かしたアートだ。電話で喋りながら、無意識にペンで紙に落書きをし、後で自分でも思いがけない絵を描いていて驚くことがある。佐藤さんの作品制作では、これがスキャナーとモニターで行われるようだ。頭にイメージを持たないまま、コンピュータと対話することで、次第にモニター上に新しいビジュアルが生まれる。普通は想像不可能な細かく複雑な模様が、コンピュータを通すことで表出するのだ。瞬間に見て新鮮な物、自分で発見のある物が彼の目標でもある。そして“文字による説明は簡潔に、ビジュアル表現は難解でも想像の余地を残す”という制作ポリシーを実践し続ける。  現在事務所は、4人構成。デザイナー2人とプランナー、コピーライターがいる。関西、九州出身者で占められ、普段事務所内には関西弁が行き交う。コンピュータは各自1台ずつに増え、仕事全体の60%がMac.使用のものに変化している。室内にロットリング、紙焼き機は見当たらない。OSDとはもちろん“オサム・サトウ・デザイン室”の略であった。ところが同地区に同名事務所OSDが存在したため、会社法人化の際、“アウトサイド・ディレクターズ・カンパニー”と変更する(OSDは通称で使用した)。「振り返って見れば、僕はきっちりセンターを通ってきていない。いつもちょっと変な物を作ろうとしてアウトサイドばかり歩んでいた」 強烈な個性の持ち主とパワーをぶつけ合うことが楽しい  佐藤さんは表参道のギャラリー「ティエラルト」のディレクターでもある。昨年10月、空間プロデュースの会社「イルミナティ」(佐藤さんも取締役兼任の会社)の仁木洋子さんと共同で開始。佐藤さんはギャラリーの命名、コンセプト作り、企画をしてポスターやDM作りに関わってきた。企画展では様々な分野のクリエイターに出会い、それが彼自身の刺激にもなる。仁木さんは言う。「ギャラリーの出品者も彼も、新しい物を生み出すアーティストなんですよ。そんな環境で、彼には“アーティストの頑固な面”と“他人との強調を大切にする面”を両立できる柔軟性があると思う。月々のポスター、DM作りは大変だろうけど、クリエイティブな点では決して妥協しない人です。仕上がりに対しては安心しています」  金銭面を含め、ギャラリー運営は確かに苦しい。佐藤さんは、始めた以上は意地でも続けたいと思う。ギャラリーの企画が新たな仕事の場に繋がれば、時間を費やしても功徳があると信じている。人間関係は金銭に代えられない価値なのだ。  現在、関心があるのは映像関係の仕事だ。音楽プロモーションビデオやCMを数本手掛けている。コンテ作りからロケ、編集とかなり時間を使うのは事実だ。同時にクリエイティブの集大成が、映像(映画)にあると強く感じる。当分はコンピュータ使用のものと、ローテックな手法のもの両方で、ちょっと複雑で変わった映像に挑戦し続けたい。さらに今後の予定は以下の通りだ。“コンピュータ独特の発想法”を説いた本を制作(来春発売)。テーマパークのコンセプト、テーマ作りに参画、キャラクターのデザインなどを進行中。11月に個展を「ティエラルト」で開催、佐藤さんが創造した新種生物の作品を20~30点展示。来年、中ザワヒデキとのコラボレーションも計画中。AD、デザイナー、クリエイター、ギャラリーのディレクター,事務所の営業、音楽制作と八面六臂の活躍を続ける佐藤さんは、今後も多忙を極めていく。幾つもの顔を持つ彼だからこそ、仕事におけるイラストレーターの起用には“自分にない個性”を重視する。  「変なところのある人が好き。きれい、おしゃれは仕事になりやすいけど、それは他の人にも出来ることでしょう。中村幸子さんが好きで、仕事をお願いしているけど、やっぱりすごくパワーが有る。絶対この人でなきゃいけないっていう強烈な個性に出合えるのが、僕としても面白い」  アートディレクターとしてのみ活躍しているときには、単に仕事の手配師だった。コンピュータを使い、自ら作業に関わることによって、ようやく仕事が手元に戻ってきた感じがする。彼が好きなロシア構成主義や田中一光、電倉雄策、永井一正各氏は全て手作業によるポスター作りを大切にしている。佐藤さんも“手配”する側から“参加する”側へと理想通り移行することが出来た。それは同時に佐藤さんが独自の個性表出に成功したことを意味する。 ● ●  冒頭の小説は、伊東卓地の祖父がニューオリンズで倒れ、旅が終結する場面で終わる。卓地は独自のモラルの大切さを祖父から学び、青年から大人へ成長する。だが彼のその後の生き方は小説に記されていない。一方、佐藤理さんは旅の後、デザイナーになった。彼が、望み通りのエリートコースを辿っていれば、今の“OUTSIDE”デザインはこの世に生まれなかったであろう。人生の寄り道とも言える、佐藤さんの半年間の旅。それは絶ぇずデザイン界のOUTSIDERとして旅することの素晴らしさを教えている。 さとうおさむ●1960年京都生まれ。祖父、父ともに写真家という家庭に育つ。嵯峨美術短期大学、京都工芸繊維大学を卒業。モス・アドバタイジングを経て、独立。’92年「アドビデザインコンテスト’92」特選を受賞する。 [pg. 116, text above pic] ●掲載作品全ての企画制作(AD+D含む)=佐藤理+OSD [staff photo text] 西川公子(コピーライター・上) 佐藤理(代表/AD・左) 松村佳田子(プランナー・右上) 市丸宏(デザイナー・下) 1. 音楽 ●「MUSIC FOR ALPHABETICAL ORGASM」〔*1〕佐藤氏の自主制作CD(成田忍共同制作)。個展会場でも流された。 ●CD/パッケージデザイン 左から「異形の哀しみ/岸根光」、「女王陛下は濡れてゆく/藤崎賢一」「LIVE IN THE MOON/JUSTY NASTY」(外箱とブックレット) 2. 本 ●『B・PASS』表紙デザイン〔*2〕 ●『B・PASS』中扉 1築紫 ●フジヤPR誌「RECORD」より「がんばれ!フジヤ君」中村幸子の4コマ漫画。作=西たけ子 3. グラフィック 「ASIAN FLOWERS」ポスター〔*3〕 ●文庫 表紙(坂本龍一・著) ●「アドビデザインコンテスト’92」特選受賞作品。 ●昨年の個展出品作。アルファベットが主題〔*4〕作品集としても発売中。㉄ティエラルト 4. 映像 ●JUSTY NASTY\プロモーションビデオ(3作品より抜粋) 「盗まれた瞳」「ムーンダストに抱かれて」「ボーイミーツガール」企画制作/OSD Dr 佐藤信 撮影/長沢信吾 照明/多和正博+蝦原昭悟 CLポリスター ●日清食品ブタホタテドリ\TV-CM 企画制作/電通+二番工房 CD石田勝寿 企画/佐藤義浩+福岡英典+高橋基晶+佐藤理 Pr三浦知之 Dr五百川真 CG佐藤理 5. ギャラリー/ティエラルトのポスター 左上より「ロックの肖像」(4年間ADを担当した『B・PASS』のオリジナルプリント展)、「ティエラルト展」(ティエラルト1周年記念企画展= ’92, 10/6〜23)、「ANONYMOUS ANIMALS」(2回目の佐藤理個展= ’92, 11/4〜21)、「ポゴイタコ展」(様々なアーティストによる羽子板と凧の展覧会=’92, 12/1〜18) 6. THE NEXT ●11月4日〜21日まで、表参道「ティエラルト」で個展が開催される。タイトルは「ANONYMOUS ANIMALS(頭の中に棲む生物)」。グラフィックアート作品を主体に一部映像と音楽も組み合わせる予定だ。ティエラルト☎︎03-3409-5200 [pg. 119, text below office photos] 事務所は都営新宿線・初台駅から幡ヶ谷方面へ徒歩約5分のところに位置する。代々木郵便局の先にあるマンションの8階と9階である。8階は佐藤氏のアトリエと打ち合わせスペース、簡単なAV編集室で、9階が事務所だ。年に1回は関係者を集めたバーベキュー大会も開かれる。住所:渋谷区西原1-35-15 かすがマンション初台901 ☎︎03-3485-7974 [footer text pg. 119] ※OSDではグラフィッグデザイナー(又はアシスタント)を募集中。25歳まででMac.が使える人。詳細は上記連絡先まで。